美的終活という、新しい考え方

美的終活という言葉をご存知でしょうか。
 
たぶんご存じではないと思います。
なぜならば、「美的終活」という言葉は、私が作った造語だからです。
 
そこで、美的終活とはどのようなことか、私の個人的な考えを述べさせていただきます。
 

 

美的終活という造語

では、なぜあえて「美的終活」という造語にたどり着いたのか。
 
それは、
「終活」する人の個人的に大切にしている美的感覚を無視した、「終活」という言葉の限界に気づいたことにあります。
 
 
私は、
高齢者の法的支援を行うことを目的に設立された一般社団法人マイライフ協会の代表理事をしています。
 
高齢者の法的支援について説明するために、今まで一般的に普及している「終活」という言葉を使ってきました。
 
「終活」というと、よく聞く言葉なので、なんとなくセミナーに来て下さった方にも伝わるのではないかと考えていたのです。
 
 
しかし、
その言葉を使っている私自身は「終活」という言葉にしっくりきてませんでした。
 
文字から見て、
終わるための活動というのもなんだか寂しさを感じます。
 
 
最近、一般社団法人マイライフ協会として、当協会の広報担当者と一緒に、
それぞれの地域の成年後見センターや行政の担当者との意見交換にお伺いしています。
 
できるだけ多くの人が、老後に必要な法的知識を持てるように、地域で任意後見などのセミナーの開催を提案させて頂くためです。
 
 
そこでは、地域によって差があるのですが、任意後見についてなどのセミナーをすでに開催しているところもあり、素晴らしい取り組みだと思います。
 
しかし、
セミナーのタイトルに「老い支度」などの言葉があり、私自身が高齢者になったときに、たぶん参加したくないと思います。
 
たしかに、
人間は必ず老いるのですが、生涯現役で社会のために働きたいと考えている人にとって、「老い支度」といわれると抵抗を感じるのではないでしょうか。
 
私も、その一人です。
 
 
老いというのは、
老いた状態を表していて目的にはならないのではないかと思うのです。それに、個人的な美的感覚として、「終活」や「老い支度」といわれると、なんだか気が滅入ってしまいます。
 
それにもかかわらず、
ちょうど良い言葉が思い浮かばず、私も何年間も「終活」という言葉を使い続けていたのです。
 
 
これでは、説得力がありませんよね。
 
 
「終活」や「老い支度」というセミナーでは、

  • 「終活しないとまわりの人に迷惑がかかりますよ」
  • 「終活すれば、自分が死んだときに子どもに迷惑をかけなくて済みますよ」
  • 「終活のいっかんとして遺言書を書いておきましょう。子ども達の争族を防げますよ」

など、「終活」することの効能について説明されます。
 
 
ですが、終活の効能をきいただけで、終活をしたいと思えるでしょうか。
 
 
正直言って、
「終活」することの効能のおかげで子どもが困らないのはいいですが、ただそのためだけに、「終活」をする必要があるのかと思ってしまいます。
 
自分が「終活」しないことで、子どもが困っても自分には関係ないと、思う人がいてもいいと思うのです。「終活」することが自分の美的感覚からずれていると、やる気がおきないのではないでしょうか。
 
ただ単に「終活」というと、
私の中のイメージでは、終活の効能が先行し、終活する人の好き嫌いや気持ちなどの美的感覚が欠けているように思えます。
 
 
それでは、
「終活」はやったほうがいいのは分かっているけど、なんとなく気が乗らず、何年もやらずほっておく人がいるのもうなずけます。
 
「終活」する人自身の美的感覚を置いてきぼりにしては、どのような活動もうまくいかないのではないでしょうか。
 

美的終活とは

美的終活というとどのようなことをイメージされますか?
 
皆さんは、洋服を選ぶとき、

  • 赤い服が好きなら赤い服を
  • 白い服が好きなら白い服を

自分の美的感覚に基づいて決めていませんか。
 
自分の好き嫌いやそのときの気分という美的感覚で決めるのが普通だと思います。
 
しかし、終活というとなぜか、

  • 「終活しないと、自分が死んだあとまわりに迷惑をかけますよ」
  • 「終活しないと、子どもに迷惑をかけますよ」

なぜか、終活をしてまわりに迷惑をかけないようにしましょうという、

  • 「まわりに迷惑をかけない」

という効能の話になってしまいます。
 
自分のための「終活」なのに、
なぜか自分が選べるのは、葬式をどうするかであったり、お墓をどうするのかということなど。
 
「終活」の主体は自分であるべきなのに、終活の一番の受益者は、家族であったり、まわりであったり。
 
なぜか、「終活」になると、
自分の好き嫌いという美的感覚を置き去りにして、効能や自分以外の人のことを考えなくてはならないなんて。
 
 
いつも疑問に感じていました。
 
 
ずっと、もっとふさわしい言葉がないのか悩んでいました。
 
そのときに、ふっと思いついたのが、“美的終活”という言葉だったんです。
 
 
「有終の美を飾るための活動」=「美的終活」
 
 
有終の美を飾るという目的のための活動が「美的終活」。
 
有終の美を飾る自分のための活動ですから、
自分の好き嫌いという美的感覚で進めることのできる「美的終活」。
 
有終の美とは、
終わりを立派にしめくくること。
 
どのようなことを立派と考えるかは人それぞれの美的感覚によります。
 
その美的感覚を大事にして、有終の美を飾るための「美的終活」は、終わりを立派にしめくくるための目的志向の活動です。
 
それも、どのようなことを立派と考えるのかは人それぞれ、そこで、「美的終活」の到達点は人それぞれでいいのです。
 
 

美的終活の個人的視点

「美的終活」は人それぞれ異なる、有終の美を飾るための活動です。
 
「美的終活」は個人的なものなのです。
 
「美的終活」の私の個人的視点は、一般社団法人マイライフ協会の活動にあります。
 
 
私は、
14歳の頃の母方の認知症の祖母の引き取り介護から始まり、父方の祖父母の看護、介護、そして、私が30歳の頃に脳梗塞で倒れた母の介護まで、現在まで、28年以上にわたり、親族の介護について関わってきました。
 
 
その中で、つくづく思ったのが、
私自身の介護では、子どもの世話になりたくないというものです。
 
私の個人的な「美的終活」は、
子どもの世話にならないで人生を終えること。
 
そのために必要なことは何か、長時間をかけて仲間と検討しました。
 
子どもや家族に代わる家族のような存在があれば良いのではないか、
「第二の家族」のような存在、それが一般社団法人マイライフ協会です。
 
 

美的終活をみつけてみませんか

自分の人生の終わりを立派にしめくくる、有終の美を飾るための「美的終活」。
 
自分の美的感覚に基づいて準備する「美的終活」。
 
「美的終活」の主体は自分自身。
 
自分にとっての有終の美を最終目的とする「美的終活」。
 
皆さんご自身にとっての「美的終活」をみつけてみませんか。
 
 
一般社団法人マイライフ協会
代表理事 児玉浩子
 


 

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